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2018.01.10

4本の指でうまれてきた私が、【自分なんて】と悩むあなたへ伝えたいこと

はじめまして、大塚悠と申します。
私は1983年6月23日、栃木県で生まれました。

両親も兄も両手の指は5本ですが、
そんな家族のなかに生まれてきた私の右手の指は4本でした。

私の右手(^^)
-今の私の右手-

その原因は、まだはっきりしていません。

これまでに私は2人の娘を出産しましたが、次女にこの手が遺伝しました。
そしてそれが原因で、離婚をしています。

いじめ・挫折・離婚・挑戦を経て―
「あなたはあなたのままでいい」と伝えたい

2万人に1人という偶然により右手の指が4本で生まれ育ってきた自分は、
「みんなと違う」という壁に何度もぶち当たってきました。

今のようにインターネットの普及していない時代、
世界中にたった一人だと感じることもありました。

とても孤独な時もありました。つらい時もありました。

けれど、私は今とても幸せです。4本の指でよかったと心から思います。

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-娘たちと水族館にて-

「4本の指で良かった」なんて、5本指の手の人からすればきっと訳が分からないかもしれません。

だけど、自分はラッキーだったなあと、今では思えるのです。

私がどうやってそう思えるようになったのか、ここにありのままを書きたいと思います。

・他人と自分を比較してしまう
・「自分なんて」と悩んでしまう
・自分自身に価値を感じることができない

特にこんな人たちへ。

今、どうしても伝えたいことがあります。

4本の指がふつうだと思っていた幼少期

これは次女を出産した後初めて知ったことですが、私の手は医学的には
裂ける手と書いて「裂手症(れっしゅしょう)」と呼ばれ、
2万人に1人の確率でこの世界に存在するといわれています。

私の場合は右手だけでしたが、娘のように両手、そして足に症状が出ることもあります。
(足の場合は裂足症(れっそくしょう)と呼ばれています)

これを読んでいる方のなかには、「4本指の人がいる」という事実を初めて知る人もきっと大勢いるのではないかと思います。

生まれたころの自分の手の写真はないですが、おそらくこんな状態で生まれてきたのだと思います。(※娘の写真です。)

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私が生まれてきた時、きっと親はとても驚き、心配したでしょう。
その気持ちを思うと、胸が苦しくなります。

記憶は全くありませんが、私は生後10か月の頃に慈恵医大病院で裂けている手のひらをくっつける手術をしたようです。

1~2歳くらい
-手術後。ギブスを右手にしています-

私は5本の指の手だらけのこの世界へすごい確率でポーンと生まれてきたわけですが、
おもしろいことに小学校低学年くらいまでは4本の自分の手が「ふつう」だと思っていました。

家族もお友達も、みんな5本指の手なのになぜ?と自分でも思うのですが…

周りから指摘されて「みんなと違う」ことに気付いた瞬間

幼稚園までずっと自分の手が人と違うことには全く気が付かず、
なんとも思わずに過ごしていました。

3歳くらい
-3歳の頃-

この独特なピースサインで笑えているのも、まだ私が幼く、
周りから自分がどう見られているかを全く気にしていなかったからこその笑顔です。

そんな私が自分自身で右手がみんなと違うと気がついたのは、同じ幼稚園のお友達に指摘されたことがきっかけでした。

ふと自分の手を見ると、ジグザグに縫った跡(手術の跡)があるのに気がつきました。 

そこに居たその子の母親が、私をじっと見ていたのを今でもはっきり覚えています。
その母親は怖い顔をしていた記憶がありますが、その時は特になにも分かりませんでした。

でも、成長に伴い、私の周りの状況はだんだんと変わっていきました。

大人の反応を見て、子どもたちが徐々に「ふつう」から外れるものを除外するようになってきたのです。

それまで当たり前に、お友達に「手、どうしたの?」って聞かれて、
「生まれたときからなんだ」とか、
「お腹のなかで怪我をしたんだ」とかって答えていて、
それに対しての反応は「へ~」で大体終わっていたことが、

「そんなこと言っちゃだめ」という「触れてはいけない空気」を、
徐々にお友達は大人から察し、学んでいきました。

そして徐々に「ふつう」ができあがり、
人は「ふつう」とは違うものを認識するようになっていきます。
(もちろんそれを否定するつもりは全くありません)

それまでは私の手をすんなりと受け入れてくれていた子どもの世界が、
そんな大人の反応により、「ふつう」ではないものを認識する世界に変わると、生きていくのが苦しくなっていきました。

「ふつう」から外れるものへの差別・偏見・いじめ・からかいがあった小学校時代

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-小学校4年生の頃-

小学校になると、どの子どもも自分自身の中の「ふつう」が出来上がってきています。

私の場合、自分は自分の手が当たり前で、ふつうに、当たり前にそこにいて生活をしているだけなのですが、給食前の時間に水道で手を洗っているだけで、気がついた誰かが騒ぎみんなが周りに集まって来たことがありました。

「指が4本のやつがいる」といううわさが学校に広まり、囲まれ、毎日続きました

男の子に「指なし」とからかわれました。

音楽の時間のリコーダーは困り果てました。
ソプラノリコーダーは小指を使わないで弾けるものなので右手は小指で代用し、練習してなんとかできるようになりました。 
でも、アルトリコーダーを使うようになると、どうしても出ない音が出てきました。 

体育の時間では、バドミントンのポイントを手ではなく口で数えるとポイントが分からなくなってしまい、理由を知らない子には分かりにくいと怒られました。

じゃんけんではパーを出さない限り指の数に気付かれないので、グーとチョキばかり出すようになりました。 

時々、成長に伴う手術痕の傷のひきつれで、何とも言えない右手の痛みにたえました。

そんな時、母は涙を流しながら、「ごめんね、ごめんね」とひたすら手をさすって謝っていました。 
私の手は母のせいではないのに、なぜ母が泣いているのか分からずにいました。
でも、もう悲しんで欲しくなかったので、指が4本の理由を母に聞くこともやめてしまいました。 

ずっと自分にとっては当たり前だった右手…

でも、そんな毎日の出来事が続いたことがきっかけで、

指が4本なのはそんなに珍しいのかな?
からかわれることなのかな?悲しいことなのかな?
人とちがうということは、かわいそうなことなのかな?

と思い始めるようになりました。

それまではどんな事を言われても、
生まれたときからその手が自分の右側についていたわけですから、
それが自分にとっては当たり前の手だと思っていたので全く違和感がありませんでした。

ですが、その頃からジロジロ見られるのを不快に感じ、私は右手を隠すようになり、学校を休むことも増えました。
家で過ごして運動量も減って、太りだしたのもこの頃です。

環境が変わりいろんなことに挑戦した中学時代

中学生になった時、手を隠すことをやめてみました。

「指が4本だからできないなんて誰にも思われたくない。
誰よりも努力すれば、いじめられることも手を隠すことも必要なくなるのではないか?」

と考えるようになりました。もう、隠れている人生が嫌だったのだと思います。

父の影響もあってソフトテニス部に入りました。
若干小指が内側に寄ってしまっているのでラケットを振っていると小指の爪が人差し指の側面に突き刺さり、よく血を出していました。

痛かったり辛かったり人間観関係に悩みましたが、3年生でテニス部員100人近くまとめる部長を務めました。

中学校からの私は、環境が変わったのをきっかけに
「新しい自分になりたい!」
「誰にも負けたくない。誰よりも頑張ってやる!」
と、野心がものすごく強くなっていきました。

学級委員も3年間やり通し、気付けば手のことを言う子は全くいなくなっていました。

ほかにも、そろばん・水泳・エレクトーン・書道・英会話など、いろんなことに挑戦し、成功体験をたくさん積み重ねたことが自分の自信につながったように思います。

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-高校生の頃-

その自信を持って大学生になったときに東京で一人暮らしを始めました。 

テレフォンオペレーター・イタリアンレストランのホールスタッフ・牛角のスタッフなど、右手のことがあってもたくさんのアルバイトを経験。

大学卒業後は、スターバックスの店員・ドッグトレーナーで開業・スポーツジムの受付・薬局の事務などの仕事をしました。 

これらのアルバイトの中で指が4本だから出来なかったことは、何一つありませんでした。

その後、インターネット上の求人広告を作る会社に就職。
原稿作成の仕事をしていましたが、「人と接することが好きだ」と感じ、転職して私鉄の窓口で定期券を発売する職に就きました。

接客業に就くなんて、小学校の頃は人目を避け、右手を隠していた自分が嘘みたいでした。

そしてそこで知り合った方と結婚。
2人の娘を出産しました。

4本指の右手が娘に遺伝。辛くて仕方がなかった日々

愛する夫との娘。

その娘の手は、両手とも4本指だったのです。

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娘を出産するまで私は、自分の右手が4本指だという事実をすっかり忘れて過ごしていました。
だけどこのとき、自分の手のことをやっと思い出しました。 

自分が自分を愛し認めていれば何にも怖くないと思って生きてきました。
でも、娘は自分とは違う一人の人間。

娘は、自分自身を愛してくれるだろうか、自分自身を認めてくれるだろうか…と
とても不安になり、パニックになりました。

娘が生まれてくるまで、自分の手の病名も遺伝のことも全く知らず大きな不安に襲われました。

追い込むように、夫や義両親から心無い言葉がありました。
それは私を受け入れてくれた人々からの言葉とは思えず、とてもショックでした。

これまで頑張ってきたこと、考えてきたことすべてが揺るいだ瞬間でした。

そこから夫との離婚協議と離婚調停が始まりました。

私はしばらく人に会うことさえ怖くなり、引きこもりました。
当時2歳の長女と生まれたばかりの次女を抱えて、笑うことさえもできない時期が続きました。

娘は、東京世田谷にある名医のもとで手を使いやすくするための手術を受けられることになり、
結局3歳までに3回、全身麻酔で足からの皮膚移植もある大きな手術を乗り越えました。

栃木県からその病院までは、往復6時間かかります。
その往復の道程、見送った手術へ向かう娘の後ろ姿・・・。

一人で、とても心細かったことを思い出します。

さらに、遺伝したという現実、周囲に受け入れてもらえなかった事実と闘いながら、苦しい時間を過ごしました。

このころの記憶は、泣いたことしか覚えていません。
考えることが辛くて辛くて仕方がありませんでしたが、とにかく幼い子供を二人連れて、今後生きていくことを考えなくてはいけませんでした。

行政書士を目指し、離婚調停中に勉強を始める

そんなどん底の私を救ってくれたのは、離婚について依頼していた弁護士さんでした。

とても素晴らしい方で、法律面だけではなく私の心も救って頂きました。
それがきっかけで、昔自分も弁護士を目指して司法試験の勉強をしていたことを思い出しました。

そうだ、自分もこんな法律家になりたかったんだ、今からでも遅くない、
娘たちにママがキラキラ働いている姿を見せよう、

と、法律家になることを決心し、身近な法律家と言われる行政書士になるための受験勉強を始めました。

勉強できる時間は娘たちが寝ている早朝のみでしたが、その時間だけは子育ても離婚も人間関係も何にも考えず集中することができ、よい気分転換になりました。

私を心配した大学時代の友達がわざわざ栃木に遊びに来てくれたり、励ます会を開いてくれたり、母親・父親の支えもあってなんとかこのどん底の時期を乗り越えることができました。
この時、本当の人の優しさ、あたたかさに触れて、自分らしさを取り戻すことが出来ました。
人と人との強いつながりほど大切なものはないのだと知りました。

離婚調停が成立した年、行政書士試験を受け、無事合格。
すぐに自宅開業し、現在は行政書士法人の宇都宮支店長をしながら娘二人を育てています。

私が生まれてきた意味、私の使命

そして今日、今までの人生を振り返りながら、

2万人に1人の確率で、右手が4本の指で生まれたことの意味はなんだろう。
私の使命はなんだろう
…と考えながら、この記事を書いています。

娘たちを幸せにしてあげることはもちろんですが、

人と自分を比較して落ち込んでしまったり、自分なんて…と悩んでいる人や、自分自身に価値を見いだすことができない人に対して、

多くの人が言う「ふつう」じゃなくたっていい、
多くの人と一緒である必要なんてないし、それを恥ずかしいと思う必要なんてない

その違いや個性があるからこそ、人生出逢いが楽しいんだ

ということを知って欲しいと考えました。

そして、私のように辛い思いをする人を少しでも減らすために、

生まれつき、手足のかたちが多くの人とは異なる子どもたちがたくさんいる

という事実を世の中に伝えること、それこそが私の使命なのではないか?という結論に辿り着きました。

人との違いは当たり前。
だから誰もが自分を愛し、認めてあげてほしい。

私が高校生の時、英語での弁論大会で行ったスピーチの一部です。

私がオーストラリアにホームステイした時、
4本指の手のことを現地の小学生たちに聞かれた。

でも、何も答えられなかった。

そんな自分を悔やみ、なんと言ったらよかったのか必死に考えた。

世界には、肌の色や目の色、髪の色が違う人がいる。
そんな違いと同じように私の右手も恥ずかしいことではない。

これは一つの個性であり、私の手もみんなと違っていいのではないか。
次に誰かに手のことを聞かれた時には、私の手は個性の一つだと自信を持って答えたい。

多くの人と違うことは、決して恥ずかしいことではない。

それが人に伝わるためには、自分で自分を愛することが重要だと考える。
自分を愛することができない人が、人を愛し、心や思いを伝えることはできないからだ。

大切なのは、まずは自分を知り、自分を愛すること。自分を認めてあげること。

他の誰からでもなく、まずは自分が自分自身を認めてあげること。」 

・・・

この弁論大会で優勝し、アメリカのロサンゼルスとカリフォルニアへ留学をしましたが、
そこで知ったことは、

海外では人との違いは、「ふつう」とかいう次元ではなく、当たり前で気にしないレベルに達していることでした。

これは驚きを通り越して、心の底から嬉しい体験でした。

日本では、人とつい比較してしまったり、多数から外れる人生を選んだ場合の周りの目は冷ややかです。
外見、仕事、育児、人生の全てにおいて「ふつう」であることが求められることが多いですよね。
私の場合は、離婚の際にそれを心の底から実感しました。

でも、私たちの住んでいる日本でも、人との違いは当たり前であってほしい。
当たり前に思ってくれる人たちでいっぱいにしたい。
心からそう思います。

人と違うことが「ふつう」なのです。
だから人との出逢いが楽しいのです。

もしもどこかで…

私のように指が4本の子にあなたが出逢ったら、
自分とは違う生き方や考えの誰かにあなたが出逢ったら、
その出逢いも楽しんでほしいと心から願います

最後に…

~他人と自分を比較してしまう、「自分なんて」と悩んでしまう、
 自分自身に価値を感じることができない人へ~

かけがえのない自分を愛して認めてあげてください。
みんなと同じが「ふつう」なのではありません。

自分自分を認めて愛することが出来たら、周りも愛していきましょう。
それでも、悩みが改善しないのなら、環境を変えてみてください。

どこかに必ずあなたが自分らしく生きていける出逢いと場所があるはずです。
勇気を持って一歩前に踏み出すことが、あなたらしい人生へのカギです。

私はこれからもこの世の中の「ふつう」の概念を少しでも変える活動をしていきたいと思います。

みんなが自分のことを愛し、自分以外の人との違いを楽しんで、
心から人を愛することができますように。
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大塚 悠

生まれつき3本指の女の子が主人公の絵本の出版準備中です

私が夫との離婚を決意したころ、自分の娘をはじめ、自分以外の人との違いについて悩んでいる人たちに勇気と笑顔を与えられるようなことをしたい、と思うようになりました。

そこで出会ったのがHand&Foot(はんどあんどふっと)で、そこで生まれつき指が1本、2本、3本、4本、短かったり欠損していたり、色々な手や足のかたちの人と出会いました。

指のかたちが多くの人と違って生まれてくる人が、日本全国にこんなにもいるんだということに驚きました。
そのHand&Footは2016年にNPO法人化し、現在私は副理事長を努めています。

私と同じような手・足で生まれた子どもたちが、私と似たような場面に出くわしたとき、自信をもって対応してほしい。
そして人との違いに悩むすべての人に、届けたい思いがある。

沢山の方々のご協力・ご支援があり、その気持ちが「絵本」というカタチになりました。
この絵本の主人公は、右手の指が3本でうまれてきた女の子です。

この女の子を通して、「ふつう」とは何か・「ふつう」と違うということはかわいそうなことなのか。
考えるひとつのキッカケとしてもらえれば、と思っています。

この絵本が、たくさんの方たちの手元に届くこと。

そして、ちょっと自分とは違う手足のかたちの人と出会った時に、
自分とは違う価値観の誰かと出逢った時に、
「ふつう」に出会えることを願っています。

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